
管狐さんについて

管狐とは、一般的には妖怪とされています。
管狐(くだぎつね)とは、日本の伝承における憑き物の一種である。長野県・静岡県・愛知県など中部地方、さらには関東地方南部、東北地方などの一部にも伝承がある。関東の一部では同様のオサキ伝承が知られる。
管(竹筒)に収まるほどの小型の生き物の様だが、普通はその使い手にしか姿は見えない。使い手は、クダ狐の力で他人の過去を言い当てたり、未来を予言出来たりといった占術が使えるとも、また、他人に災いをもたらす呪術を使えるともされた。伝承される地方では、家が栄えると、それはクダ憑きの家だからと不名誉な噂を立てられることがあった。娘が嫁ぐ度、75匹の眷属を伴っていくという言い伝えがクダや同系の妖怪について語られる。
と、まァ、忌み嫌われているものらしい。
かなり心当たりがあるぞ。
私に何かが憑いているのではないか——と考えられるのだが、それがもしかしたら『高次元の存在』とか、そんな風にも言える。
のだが、その割にこの地上に近しいものではないかと感じられる。
化生の存在だと思う。存在が定義されて発生している存在。この世の人が、この存在を神だとは思うけれども、敢えていうなれば、神の下付きになる存在で神ではない。
役立たずだった管狐さん
一応、私も神道の師匠のもとで修業の身。とはいえ共「何かと通信ができる」とかの話は聞いたことがない。
師匠はその類の人ではなかった。が、たしかに予言じみたものは凄い人だった。
もしかしたら、私に憑いているものも何か神さまに近しいものなのかもしれない・・・・・・とは思うんだが、正直なところ、そんな高貴な存在とは感じられない。
でも、私を助けてくれているのは知っている。
しかし、私の役に立つ情報を与えてくれているわけではない。
正直なところ、私に憑いている管狐さんが教えてくれる内容は、従来の私には役に立たない情報であった。
どこで戦争が起きようが私には影響がなかったし、どこでミサイルが飛ぼうが関係がないし。なんなら、どこかで天災が起きようが、やっぱり胸は痛むことがあったとしても、それが私に何か打撃を与えるわけでもなかったのだ。
予言できても、役立てる術がなかった。
ということで、私に憑いてくれている管狐さんが役に立ったことがない。すまん。
管狐さんとの浅い関係性のとき
この管狐さんの存在がいつからいたのか。いつから認識できたのか。
それは10年ぐらい前である。明確に私の近くに「何かいる」と自覚されたのは仮想通貨でモナコインにお金を入れようとしたときである。
耳鳴りが強烈に凄いものがやってきたことを今でも覚えている。お風呂場でだ。
お風呂場で私は強烈な耳鳴りに襲われながら、モナコインにお金を入れていた。その後、モナコインは戻ってきていない。というか、どこかに消えてしまった。

と言われている気はしたんだが、その当時から、あんまりスピリチュアルとか信じていない方だったのと、何かは感じていたんだけれど、それが何なのかもわからなかったから、そのままサインをスルーしてしまったのだ。
そして、ひとつ耳鳴りとして「強烈に痛いぐらいに凄い音がする」ので驚きも凄い(忘れられないぐらいには)のだが、その音程と言うか、この世のものではない音が聞こえている感覚がする。
この世のものではない高周波の音がするんだ。
とにかく、私のサポーター。これを管狐さんとする。
出来ることと言えば、私の意識が向いた先に対しての予言ならば、それなりにしてくれる。が、それを私が受け取れるかどうかはまた別の話である。
たとえば、意識が向いた先でなければ、何もキャッチしないし、できない。
少し前は、予言しようだなんてひとつも思ってなかったのもあって、何も降りてこなかった。
私の意識が向いていることが条件としてあり、向いていないところに対しての予言やらは何も得られない。
たとえば、私は露のほうにはやっぱり危険視しているのもあったから、露の情報は入りやすい。
ほかにも仮想通貨に意識が向いていれば、近々こんなチャートになる——まで教えてくれるが、同時に

とまで教えられることがある。その通りになるので恐ろしい。
近くに何かがそばにいてくれていることはわかった。色々と今まで私に教えてくれていたり、脳裏に映像を見せてくれたり、夢見でチャートを教えてくれたりなどをしてきてくれたのも、私がモナコインでお金を溶かす前にも教えてくれていた存在がいる。
私は、この存在を肯定しなければならない。そして、私はこの存在を活かさねばならない。
やっぱり存在しているのだから、その存在を肯定する必要性がある。
この管狐さんの存在を最初はよくわかっていなかった。
でも、なんとなくぼんやりと『狐と蛇を合わせたような姿』をしているのだけはわかる。そんな気がしていて、管狐かなと思っていた。
それでも、歯磨きしながら、

とか、ふと思った際には、

と、いつもよりかは軽い耳鳴りがした。でも、音の成り方が尋常じゃないからわかる。
耳鳴りは左右のどちらかがイエスとか、ノーとかではない。どちらから耳鳴りがしようがノーである。
今更振り返ってみても、耳鳴りの音が凄すぎて、右が痛いのか左が痛いのかすらわからない。

となるぐらいには強制力がある。
それでも昔は、よくわかってなかったので、従わないでいたら何も言わなくなってしまった。
分かるから「やめますゥ!」と言える。そして耳鳴りが落ち着く。
Yes | 夢で見る | No | 耳鳴り & 夢 |
---|
というように、その場ですぐにNoが来ることが耳鳴りである。
管狐さんの存在への肯定と使命を受け取ること
私たち人間には、存在に対して意味などないし、意味を求めることはできない。しかし、向こうの存在には『存在に意味がある』のである。
管狐さんが占いや、予言や。過去や未来を当てることが得意として、それを人間へ力を貸すとして存在を定義されたのであれば、管狐さんはそのように生きるべきであり、管狐さんらしきものがそばにいるのであれば、私もまた、それに従うべきかなと思う。
管狐さんの使命は「人の予言を与えること」ならば、人間の使命は「管狐さんの予言を受け取ること」である。
人間には存在の意味がない。しかし、この世には存在として意味を持って生まれる存在もいる。
分かりやすくいえば、人間は「何かをしに生まれてきた」というような使命を持っていない。しかし、霊的存在のようなもののなかには「何かをしに生まれてきた」使命を持った存在がいる。
そのような意味を持って、使命を持って発生した存在が身近にいるのであれば、その存在と共に生きるのもありなのではないかなと思った。
少しばかし、こういった使命を持って生まれてきた存在に好かれる理由はわかる。
私には使命がないことを知っている。私はただ生きるだけ。使命がない。だからこそ、使命がある存在がそばにやってきて、自分の使命を実行することができる。
つまり、人間のなかでも「自分の使命を持って生きている人」にとって、使命がある存在は必要がない。必要がないから使命がある存在も寄ってこない。
私は自分の人生に使命がない、何かをやらなければならないとかもないので、使命がある存在からすれば、自分の使命を実行しやすい存在と言える。
そして、少し誤解されることも多い。私には使命があると思ってくれる人もいる。
もし、私に使命があるとしたならば、使命がある存在に従事ることが私の使命である。
だから、今回、私のそばに、

と、言って、私のそばをウロウロしている子がいるのであれば、

ってなる。
使命がないからこそ、使命のために生きている存在のために自分の人生を捧げて付き合うことも出来る。
今回、私はそばに管狐さんがいるみたいなので、この子といっしょにしばらく頑張ってみようかなと思いました。
理由は別に特段とやらなきゃいけないことがないからである。あるとすればFXがやりたい。
振り返って10年ほど、異常な人生を送ってきたんだが、これもまた、この管狐さんとのコンタクトがとりやすくなるための手段だったのかと思うと納得がある。
そして、管狐さんが活躍しやすくなるように、FXの勉強をしなくてはならない。し、未知の世界過ぎるので、とりあえず、管狐さんと共々ドキドキ。
管狐さん的には、

である。
とにかく、使命がある存在に好かれる人は使命がない人である。自殺したことがある人の方が多いと思う。
この世に使命がない、やりたいこともない。だから自殺するんだけれど、それって発生した存在(神さんの小さなお使いさんたち)にとっては、共存できる人間なんだ。
管狐さんに憑かれた心当たりはないのか
ある。
今、思い出した。
昔、夢で、小さな神社からきた小さなお狐さんに「ついてってもいーい?」と夢で聞かれたことがある。
小さなお神輿に乗っていた。
いい感じに説明すると、
2015年頃、稲荷の小神がカボチャの夢枕に立たれ「ついていってもよいか」と聞かれあそばれた。目が覚め、それから数年が経った頃、仮想通貨や為替を始めたところ、夢枕に毎度稲荷の子神が立たれ、指南するようになった。
とかかな。
ついてってもいーい?

と聞かれた。
で、断った。
これも15年ぐらい前だと思うんだが、それぞれ、そこに棲んでいるということは役割があってそこに棲んでいるハズ。
なんなら神社持ちで土地があるのであれば、その土地神さんってことだし、その役割をやらなきゃいけない。
だから、

って言ったんだ。
そのままいなくなったので納得して帰ったんだと思っていた。
なるほど、占い関係の子だったんだな。
ずっと子供のお狐さんだと思っていました。姿が子供の姿をしているので。
でも、管狐なのであれば、姿は元々小さいよな。
「お稲荷さんかな?」に対して耳鳴りがしたのは、また「帰れ」って言われてしまう可能性があるからなのかなと思いました。汗
神社に関しても土地神さんというわけではなく、あの神社を入口にして来ました! って意味だったのかなと思いました。神さんたちの夢を見ると、大抵「どこの神社の入り口から来ました」と教えてくれます。当時はそこまで知識なかったです。汗
なぜ、ついてきたいのかは不明。
気持ち的に「お稲荷さん」って呼ばれるよりも「管狐さん」のほうがしっくりくる。
神ってわけではなくて、神のように祀られてはいるけれども、神さんのなかでも生物に近い存在だと思う。
神さんからすれば龍は動物だけれど、人からすれば龍は神さま。
同じように、神さんからすれば管狐は動物だけれど、人からすればお狐さんは神さま。
このお狐さんの本拠地となる場所の神社(好きでよく遊びに行ってた神社です)を知っているので、近々行ってこようと思いました。
これからお世話になるので。