ハイハートチャクラの覚醒による神の意識への到達と許し

ハイハートチャクラとは、ハートのチャクラの少し上あたりに存在する『愛』や『赦し』のエネルギーを担当する場所です。

ハートのチャクラよりも小さいですが、とっても大きな働きをしています。

ハートのチャクラの覚醒では、個人レベルの光――、もとい私たちの個人レベルの意による魂が管轄しています。

ハイハートチャクラの覚醒では、光が元々神の中にいたときの意にまで遡ることにより活性化していくことになります。

tomocha今回は、わたしのハイハートチャクラが覚醒したことをベースにお話していきます

 ハイハートチャクラの覚醒とは?

ハートのチャクラの覚醒は『光の記憶』にあって、ハイハートチャクラの覚醒は『光が神の中にいたときの記憶』によって覚醒が促されていきます。

私たちは光として地球にやって来ました。とっても小さな可愛いエゴイストな光は、一時的に父たる神へと同一化し、その後、霊体への受霊を果たしていきます。

その後、霊体のなかに入った私たちは、地上へと送りだされ、受肉し、人間として生まれていきます。

tomochaこれはわたしがハートのチャクラが覚醒したときにおもいだしたことです

私たちが産まれるまでに一度、神の中で過ごす時間があり、その期間の神へと同一化を果たすことがハイハートチャクラの覚醒になります。

それは神の中にいたときの記憶を思い出すことであって、神の意識と同一化することでもあります。

もしかしたら、これがキリストさんのいう三位一体による父という概念かもしれません。

神の意識という『許し』

私が生まれる前、神のなかにいたとき。

神さまは地上にいる色んな人の心へと繋がっていました。

私が神さまを通し見ていたのは、ちょうど、学生服をきた男性がケンカをしているシーンでした。

神さまは、怒っている男性がもう一人の男性に殴りかかろうとする心を同じように感じていました。

もちろん、私も同じように神さまを通して感じていますが、神さまは、毅然としていて、その想いに審判をつけたり、とやかく思ったりもしていませんでした。

私は、ちょっとだけ神さまを見上げて見ていました(神さまの顔を見ていました)が、ただただ同じように感じていました。

 

他にも何度か夢で誰かと同じ気持ちになっている神さまの夢を見ていますが、これは『共感』です。

私たちはこの地球で、どのような心を持っていいとかわるいとか。善悪を教えられますが、神さまはすべてを同じように感じ、同調し、善悪で捌く意識はありませんでした。

これが『許し』だと思います。

神は人がどのように想い、どのような行いをすることも許して受け入れてくれている。

ハイハートチャクラは許しを持って、私たち全てを受け入れていく心となります。

 

あなたがいなかる事をし、いかなる思いやいかなる悪事を働こうとも、人は皆許されている。

しかし、私たちは許されないのです、それは私たちが私たち自身を許すことが出来ないからなんですね。

tomocha神さまはみんなのことを愛しているし、どんな悪い子だとしても同じように許してくれている。だからと言って、何でもかんでもしていいわけではないと思うけどね。

 神の意識と愛

私たちが私たち自身のすべてを許した時、私たちは私たちを愛しています。

神の意識を受け取る際、自分の中に許しが生まれるのは、悪の意識へ向けてです。

悪い子の部分には許しが与えられ、良い子の部分には愛が与えられていきます。

許しを終えた部分にもまた、愛が与えられていきます。

ハイハートチャクラの覚醒状態では、すべての悪を許し、すべての善を愛していきます。

敵意への共感と慈悲

ハイハートチャクラは共感力が高まります。その共感は慈悲へと至ります。

 

ときに自分への敵意や脅威、害悪的なものへの共感を示していきます。

自分自身が恐怖と向き合い、恐怖を克服するがゆえ、次に、相手が怖がっていることに気づいていくことにあります。

自己愛とは真逆に自己防衛として、自分を守るために誰かを攻撃することがありますが、それは怖がっているがゆえ。

「怖がってたんだなー」と、自分の感情を乗り越え、相手への感情に共感することで、許しを進めていくことができます。

ハイハートチャクラは、共感することで両者のトラウマ的な繋がりを理解し、そのうえで許します。

これは自分の感情や経験を乗り越えた先にしか得ることができません。

tomocha精神が未熟だとできないことが出来るようになります

ハイハートチャクラの覚醒体験について

ハイハートチャクラが覚醒した際の私の経験です。

 

そのときは、おしりの下に手を入れて第一チャクラを癒すような姿勢で座っていました。

軽く座禅に近いような形ではありますが、ソファに背を預けていました。

そのとき、私は『光の分離』をひとつにしていきました。私はこの地上におりる際に光をふたつにわけています。(巷ではツインレイってやつでしょうか?)

このふたつの光を抱き合わせて、ふたりの離別による悲しみが溶け消え、その後、光に分離する前に入っていた神のなかへと記憶が立ち戻りました。

そして、神へと一体化していきます。

その際、

レイキをして喜んでいる女性意志の元に全てを許す

と、言葉にしました。

ハイハートチャクラの神さまの意識とは、意志のもとに全てを許すことであり、私に許しのエネルギーが頭上からズドーンと一気に流れ混んできました。

私は許しのエネルギーを受け取りながら、ガン泣きしていました。

私は許されてしまったのです。

tomocha私は、すべてを、許します
tomocha私は、誰かを、私を、許します

と、今まで許せずにいた事のすべてを許していきました。

最終的にはたくさん泣いて、すっきりした気持ちとなりました。

どうして許せないのか、どうして、悪が生まれるのか。それは恐怖にありました。

怖いことは悪いこと。私はとても怖がりで、たくさんの悪を生みだしていたのだと思います。

これが私のハイハートチャクラの覚醒体験です。

 

元々数年前に神さまのなかにいたときの記憶を取り戻していて、しかし、一体化することが出来ずにいました。

数年間をかけて恐怖の克服をし、神の意識へと繋がり、覚醒へとなりました。

ハイハートチャクラが神と同一化して大人になるとは?

私たちはハートのチャクラの同一化によって親と同一化し、大人となります。

ハートのチャクラの同一化後には親の心によるカルマなどを体現していきますので、親が抱えた問題をそのまま自分の子供に行うことでカルマの継承をしていきます。

霊体も同じように、神と同一化することで霊体が大人となります。(神にカルマがあるかは不明です(;’-‘))

 

最近では、ハートのチャクラに恐怖が溜まりこみ、肉体は大人でも精神が子供のまま分離してしまう状態が多いようです。

カルマが残ったまま、子育てをする感じになりやすいです。

  • 肉体の大人
  • 精神の大人(ハートのチャクラ)
  • 霊体の大人(ハイハートチャクラ)

と、なっており、精神が善悪に分離したままですと、霊体が許しを持つことが出来ないままの霊体が子供のままとなります。

ハイハートチャクラが大人にならない場合

こちらの因果応報についてでも書いていますが、精神のなかに犠牲が残ることで、第五チャクラの創造では、犠牲を伴い成立する世界が構築されていきます。

この世界では誰かが犠牲にならなければ、自分のやりたいこともままらないという世界観です。

犠牲の元に利欲を満たす世界です。

ハイハートチャクラは、犠牲と利欲によって成立する世界をも許していますが、それは

  • 自分が犠牲になったこと
  • 自分が犠牲をつくったこと
  • 利欲のままにいきたこと
  • 搾取されたこと

という、自他における苦しみや恐怖、憎しみを乗り越えていくことでもあります。

ハートのチャクラのなかに怒りや恐怖、憎しみなどが詰まった段階では、何かに気づいていく必要性があります。

その気づきを得ずして、霊体としての成熟をうながし許すことの無いまま大人になっていくと、創造を間違えることになります。

いわば、ハイハートチャクラが活性化している人と、ハイハートチャクラが未活性の人とでは、霊体としての成熟度が違います。

  • 肉体
    • 大人…性機能が機能している
    • 子供…性機能が未熟
  • 精神
    • 大人…気づき、善悪思想を終えている、自己統合
    • 子供…善悪による分離、恐怖や怒り、憎しみがある
  • 霊体
    • 大人…自他共に許しがある、敵意への慈悲
    • 子供…許せないことがある、対立する、なかったことにして許す

過去に許されたいこと、許したいことがある際、その内容をなかったことにして許す場合は、未熟な許しです。

許しが成熟となるとき、双方においてへ理解を深め、共感を果たすことで許すために、心から許すことができます。

しかし、なかったことにして許されようとしたり、許そうとする際、そこにある怒りや罪悪感が解消されたわけではありません。

怒りや罪悪感を受け入れたうえでしか許しは成立しません。

最後は光として自由になり、魂のままに生きる

私たちは元々光として地上にやってきました。

しかし、光として自由に振る舞うことが許されない状態であることもしばしば。

ハイハートチャクラは、犠牲を伴う利欲の元に生きる人達をも許していますが、ハイハートチャクラの正しいあり方とは、魂のままに生きる自分を許すこと――です。

それは、私たちが地球に来た動機、地球から母星に帰りたいと思う気持ち。

私たちの意のもとに生きることです。

私たちは私たちがやりたいように生きることが許されているし、この地球のどこかにある不幸への無関心すら許されています。

私たちは誰かの不幸に無関心ではありますが、だからといって犠牲を作っていいわけではありません。

本来、光とは自分がやりたいことを皆自由にやってるけど、誰かを犠牲にすることはありません。

この世で利欲に溺れ、犠牲があるならば、それは精神的な未熟さがあるんですね。誰しもそんなときがあって、そんな自分を許していくのがハイハートチャクラではありますが、許されているからって誰かを犠牲にして迷惑をかけて光の活動をやめさせたりする作業を率先して行うことが良いこととは言えません。

子供がやんちゃしても許されているってだけのことですね。

ハイハートチャクラは自分がやりたいことを自由に魂のままにすることが許されていますが、その時の私たちは利欲のともに犠牲を必要としません。

それは道理と正義が成立しているからこそ、犠牲が必要ないのです。

誰かへ無関心ゆえに、誰かを犠牲にしてはなりません。しかし、どうしても私たちは私たちの魂に呼応する時、自分が中心となってどこかにある不幸に気づかないこともあるのです。

そんな世界への無関心となる私たちが許され、自分の成すべきことをなすようになるとき、私たちは、利欲のためにではなく、自己満足のために生きていきます。

ハイハートチャクラは、魂を、光を自由にし、人間の限界を許していきます。

 

言いたいことは何かと言うと、許されているからって何でもかんでもしていいわけではないし、利欲のために犠牲を伴う時、その利欲は全て更地になります。

回り回って自分の創造は何度も破壊を迎えます。

できれば、利欲ではなく、道理のもとに生きれたならば、私たちは光として生きることができます。