『孤独』という人生のステージが変わる前兆について

人生のステージが変わるとき。それは、私たちのなかの自己統合されたり、分離したりなどを起こしていることがしばしば。

自己とは、周囲の人に投影している自分自身とも言えます。

自分のなかに存在している自分が他者としてやってくる――ということですね。

人生のステージが変わる際に、自己との関わり方が変化したり、自己とのつながりが絶たれたり、自己が統合されたりなど色々な自己の在り方が変化するときでもあります。

tomocha人生のステージでの人間関係の変更は、自己によって起きていると言っても過言ではありません。

人生のステージが変わる=自己との関係性が変わる=自己が投影された人間関係が変わる

という方程式が成り立ちます。

もちろん、人生のステージが変わる際、他にも色々な変更が起こっています。

そのひとつに自己の変更があるわけなんですが、自己の変更時に『孤独』とぶち当たることがありますので、今回は、人生のステージが変わる際に孤独になることについて説明したいと思います。

2種類の孤独

孤独には2種類存在しています。

  • 消極的孤独・・・・・・さびしいと感じる孤独
  • 積極的孤独・・・・・・ひとりの時間を堪能する孤独

消極的孤独と、積極的孤独の違いは、自分自身のなかにある孤独への解釈の差異にあるかと思います。

自己と孤独の関係性について

私たちの中にある自分自身から分身のように生み出される自己。

自己とは、私たちのなかで囁き合っている自分自身のこととします。それが思い込みなどにも繋がっています。

たとえば「あなたはこう思っているんでしょ!」と発言があったとして、それは、自分のなかにある「あなた」がそう思っているということであり、あなたとは自分自身のことを意味します。

自分のなかに他者が存在している。この感覚を自己と呼び、この自己に振り回されてしまう状態が思い込みと現実とのギャップを生みだしたりなどします。

自分のなかに存在している他者の話に耳を貸している状態を終わらせていくことを、自己分離とします。

自己分離の際に、私たちは他者への思い込みを終わらせ、他者は他者、自分は自分という関係性を構築していきます。

自己分離の段階でも、人生のステージの変化を感じます。

この段階では、自分と他者の関係性は分離しているので、人は人、自分は自分という棲み分けは出来ていますが、つながりを持つことは出来ません。極めて孤独の状態を指しています。

次に、他者と自分の関係性を繋げ直していく作業をしていきます。

これを自己統合とします。

この段階でも、自己を自分のなかに繋げ直していきますので、元々の人間関係が吸収されてしまいますので、つながりを持つことは出来ずに、自己分離以上の孤独の状態を指しています。

孤独レベルⅠ 自己分離的な孤独

STEP
1

自己分離する

自分のなかにある他者という思い込みを打破し自己を分離させ、自分は自分、他人は他人とすみ分けていくことができます。

STEP
2

自己分離による『孤独』

他者と自分の棲み分けが出来上がるため、繋がりを断ち切ることができますが、俄然そこに他者は存在しているので孤独ではありますが、関係性のみが存在します。
LINEなど連絡先などは繋がっていますが、関わったりなどをせずにいられる状態です。

STEP
3

『さびしい』を自己分離させ『孤独』を分離する

孤独を経験することが出来るようになると、最終的に『さびしい』という感情が抑圧され分離し、孤独により「さびしい感情」を自己分離させることに成功します。さびしい感情を自己分離させることにより、孤独を分離させます。

STEP
4

孤独の自己分離的な関係性を構築する

孤独を分離させたので、真逆である人間関係の豊かさが自分自身に舞い込むようになります。秘匿された問題として周囲に孤独が存在し、本当の意味で自分自身が孤独を感じていることを無視している状態でもあります。(表面的には豊かに見える関係性も、本質的には寂しい関係性である)

自己分離的な孤独の特徴ですが、

  • さびしい感情を自己分離させている為、さびしい感情に鈍感になっている
  • 感情的レベル・精神的レベルでの人間関係にさびしさを感じている
  • 自己分離体験により孤独を経験するも、それは表面的な孤独であり、本質的な孤独ではない(連絡先などの繋がりがあり、断ち切れているわけではない為)

という3点があげられます。

状態として、消極的孤独を自己分離させた状態を指しています。

さびしいという感情を分離させ、消極的孤独から積極的孤独への移行期とします。

孤独レベルⅡ 自己統合的な孤独

自己分離的な孤独のステップを経験した後にやってくるのが、自己統合的な孤独です。孤独レベルは自己分離的な孤独よりもレベルが上がります。

STEP
1

自己統合をする

テ分離し続けてきた自己を統合していき、自分のなかに存在している他者を自分自身なのだと認めていく経緯を経ていきます。この段階では他者により思い込みの話をぶつけられたりなどが頻発し、自己による問題点を何度も目撃することになるため、もめごとが絶えません。

STEP
2

自己統合による『孤独』

他者と自分が統合されていく為、統合された存在は吸収されていきます。投影された他者との関係性は極めて良好になるわけではなく、他者が変わるわけではありませんので、他者との関係性が絶たれていくことになります。自己投影が果たされなくなった他者は離れていくことになります。
ほとんどの人間関係を自己統合されていく為、人間関係が連絡先すらないほどに関係性がなくなっていき、本当の意味で『独り』を経験していきます。

STEP
3

『さびしい』を自己統合させ『孤独』を統合する

最後の最後に、他者から「さびしい」という感情を受け取り、寂しい自己と向き合うことになります。さびしさにより行動を起こしたりなどもする段階ではありますが、さびしい自分と向き合わねばならない段階の為に、さびしさを何かで埋めることが出来ません。コミュニティーに参加するも虚しい感覚を覚えています。夜明け前が一番暗い――そんな状態です。

STEP
4

孤独の自己統合的な関係性を構築する

最終的に統合された孤独が、自分自身のなかに身に染みるようにしっくりくるようになってきたとき、他者をさびしさの埋め合わせのような関係をするのではなく、共に生きるパートナーとしての存在として認めることができるような状態になっていきます。

自己統合的な孤独の特徴ですが、

  • さびしい感情に振り回されて行動をしない、さびしい感情を胡麻化さずに孤独でい続けられる
  • ひとりで行動することが増え、ひとりの時間を堪能するようになっている
  • 「別れ」「死」という存在に覚えることがない
  • 自己統合体験により強い孤独を経験するが、自己分離的な孤独よりもより一層深い遮断された本質的な孤独を経験している(連絡先まで断たれ、現実的にも精神的に孤独となる)

となります。

自己統合後による精神的な大きな変化は、別れに怯えることがなくなり、死別にすら恐怖を感じることがありません。

孤独を分離させ孤独を統合し受け入れる経緯で、私たちは「別れ」というものに対して向き合うことができるようになっていきます。

tomocha最終的にはひとりで行動したり、死を迎える最後までひとりで生きる覚悟が決まります。誰かがいなければ生活できないとか『誰か』という動機が消えていきます。

 

ふたつの孤独の違い

自己分離的な孤独 自己統合的な孤独
精神的な孤独のみ 現実的な孤独と精神的な孤独の両方
さびしいが自己分離し、外部にさびしい人が発生する(依存される立場になる) さびしい感情をもった人と向き合い、自分自身のなかにあるさびしい感情を認める
さびしい感情を理解できない さびしい感情を理解できるようになっていく
別れを受け入れられない(表面的には受け入れているように見える) 別れを受け入れられる(内面的にも納得している)
思い込みがない 他者の思い込みを見抜き、受け入れる

ふたつの孤独を順序的に捉えてみると、

  1. さびしい感情に振り回され、現実的にも精神的にもさびしさを埋め合わせる誰かを必要とする
  2. さびしい感情に現実的に振り回されない人生になるが、精神的に振り回される(自己分離的な孤独の克服)
  3. さびしい感情に現実的にも精神的にも振り回されず、自己主体的な人生を送ることができる(自己統合的な孤独の克服)

となっている。順序としても、現実的な孤独に陥り、さびしさを沸き立たせて分離させる。精神的な孤独に陥り、外部に存在しているさびしさを認識し、さびしさを他者から受け取ることで統合する。

他者からさびしさを受け取るとき、私たちは依存的な関係性ではなく、ただ自分が孤独であることを認める作業に努めることになります。

他者という概念からの依存から自立へ

孤独の克服の経緯が人生のステージが変わるひとつの見え方として紹介していますが、孤独やさびしさという感情は、人が持つ根底にある極めて原始的な感情と考えます。

この世には孤独ではない人は存在しません。ゆえに、私たち人間は群れるように生きているのではないか、コミュニティーを形成しているのではないか――と思います。

他者という存在は、私たちの存在を孤独から救い出すことができる存在なのだということです。

それは、私たち自身もまた誰かを孤独から助け出すことができる存在でもあるということです。

そんな他者という存在を一気に断たれ、一気に関わらない状態へしていくにも、現実(分離)⇒精神(統合)というカタチで私たちを他者から自立させていきます。

他者から自立させられる私たちは、孤独体制が強くなるわけではありません。ただ、本質的に孤独を理解している状態に至っていくことになります。

それは、自分自身が「本当は孤独ではない」というスピリチュアルに傾倒するわけでもなく、ただ、自分がこの世にただただ孤独な存在として生まれてきたことを心の底から理解し、そんな自分を信じることに繋がっています。

それまでは、私たちは自己という自己分離された自分自身を他者に投影し、他者とのつながりを自ら生み出し、その人たちと繋がっていくことで依存的な関係性を構築していきます。

自分のさびしさと向き合わないでも大丈夫な状態ですね。

しかし、ある一定の人たちは「自分の寂しさと真正面から向き合う」ことが存在し、その寂しさと向き合った際に、私たちは他者への依存を断ち切り、他者から認識された自分を自分として認識するのではなく、自分で自分を認識する力を手に入れていくことになります。

それは、他者の手を借りずとも、自分で自分を樹立させることができる力を持っている――とも言えますね。

自分で自分を樹立させることができる力を「他者から自立した」と考えたいと思います。

孤独というトラウマの一致による出会いと別れ

孤独の克服という課題は、私たちのなかにある孤独のトラウマによる出会いを一掃していきます。

  • ひとりになりたくない
  • 誰かと一緒にいることでの安心感
  • 独りという恐怖
  • ひとりで生きる覚悟がないからこその依存的関係性

などなど、私たちの中には『孤独』というトラウマがあります。

人間関係は何かしら引き合って繋がりを作り出していきますが、繋がりの意味が

  • トラウマの一致
  • ポジティブの一致

の2種類になります。

トラウマの一致による繋がりでは、同じトラウマを抱えて惹きあうのでお互いをお互いで傷つけあうことにもなります。

しかし、トラウマの一致があっても、いっしょに成長してポジティブな関係性を築いて行けることもあります。

今回は私たちが人生が変わる際に孤独になる原因となりますが、トラウマが解消されていくとき、一方は解消されても、もう一方はトラウマを抱えたままであるとき、縁が切れてしまうんですね。

では、一気にトラウマ解除をしまくったらどうなるでしょうか。

一気に縁が切れて、一気に周囲の人がいなくなる・・・・・・だなんていう現象が起こります。

tomocha私はどんどんレイキを使ってトラウマ解除をしまくったら、人付き合いがほとんどなくなっちゃいました。

トラウマの一致によって結ばれていた縁が解除される際に、どちらも嫌悪感を感じるようになります。

トラウマが解除された側は、

レイキをしている怒っている女性なんでそんなことでウジウジしているんだろう・・・・・・(イライラ)

としやすく。

トラウマが残っている側は、

レイキをしている怒っている女性こんなに苦しいのに、なんでわかってくれないの!!(ぷんぷん)

と、なりやすくなります。

イライラとプンプンの関係性は、もちろん上手く行きませんし、モメやすくもなります。

これを波長が合わなくなったと表現されることもあります。

元々同じ痛みを持って傷の舐め合い的関係性を構築していたならば、いきなり、共感できなくなっていきますので関わりがしんどくなっていきます。

最終的には、縁が切れてしまいます。

縁が切れないケースもある

しかし、お互いがお互いの成長し合うためのトラウマ解除仲間・・・・・・というとき、片方が解除されるともう片方も解除されていくように流れるケースがあります。

このとき、片方が解除されるとき、もう一方のトラウマを抱えた側の方が、相手への違和感を、相手のせいにせず、自分のなかの問題と向き合う力があると縁は切れません。

ですので、人生が変わるタイミングで人間関係がどんどん切れたタイミングは、トラウマが一気に解除されたとも言えますが、同時に、共に上昇していける方はわずかながらに残ります。

tomocha私はレイキ仲間だけが関係性が維持されて残りました!

ここから、トラウマの一致による共依存関係にあるものがドンドン外れていくとき、確かに人との縁は確実に消えていき、孤独となります。

しかし、一緒に依存関係ではなく、共存共栄の道へ歩むことが出来る人とは縁が残っていますので、本当に貴重な縁が残る感じかと思います。